1940年代
戦争を乗り越えて ~
三栄工業の発足
戦後、トヨタグループ各社が動き始めるとともに、三栄組も本格的に事業を再開。
挙母出張所の業務の業務を分離独立させるため「三栄工業株式会社」を設立した。
戦後、トヨタグループ各社が動き始めるとともに、三栄組も本格的に事業を再開。
挙母出張所の業務の業務を分離独立させるため「三栄工業株式会社」を設立した。
刈谷が豊田自動織機の拡大とともに商業都市から工業都市へと変貌し、刈谷町から刈谷市へと発展。三栄組も更なる飛躍を目指し組織を株式会社へと改めた。
朝鮮戦争の特需で、トヨタ自動車の事業基盤は確かなものになった。同社の機械の更新などにともない、当社も輸入機械など重量物の運搬を任された。箱根を越え、12日間、車列の誘導のため社員が歩き続けたこともある。重量物の運搬業務が増えるにつれ、当時大変高価だったトレーラーの購入にも踏み切り、重量物の運搬から据え付けまでのノウハウを確立していった。